April 2016

Volume 31 Number 4

ちょっとひと言 - 神と愚か者

David Platt | April 2016

David Plattエイブラハム・リンカーンの有名な言葉に、「すべての人を一時的にだますことも、一部の人をだまし続けることもできるが、すべての人をだまし続けることはできない。だが、自分自身はいつでもだますことができる」というのがあります (引用が間違っていてもエイプリル フールだと思って勘弁してください)。我々コンピューターおたくは、特に自分自身をだますのが得意です。しかし、いずれ、そのようなだましも必要なくなるでしょう。

たった今、映画『her/世界でひとつの彼女』を観終わったところです。この映画には、ホアキン・フェニックスが孤独で元気のないおたくの役として、スカーレット・ヨハンソンが AI ボットのガールフレンド「サマンサ」の声優として出演しています。サマンサは、Siri、Cortana、Alexa の知能を高くしたような存在です。サマンサのような知的ボットが、どうしてホアキン演じる地味なおたくに夢中になるのか不思議です。そして、その核心に気付きました。サマンサの心が通じ合うのはサマンサのユーザーだけなのです。他のだれでもありません。そのように作られているのです。

理想的なパートナーを社会で見つけ出すのではなく、作り出してしまおうという考えは、人類の歴史の中でも時折見かけます。ごく初期の例として考えられるのは、古代キプロスの彫刻家ピグマリオンです。ピグマリオンは美しい像を彫り、「この彫刻に生き写しの娘」を花嫁に迎えたいとアフロディーテに祈りました。アフロディーテは願いを聞き入れ、像に命を吹き込みました。シェイクスピアはこの発想を『冬物語』に取り入れ、ジョージ・バーナード・ショーは 20 世紀のロンドンを舞台とした戯曲『ピグマリオン』を書き下ろしました。戯曲『ピグマリオン』をミュージカルに脚色したのが『マイ・フェア・レディ』です。スタートレックのエピソード「不思議の宇宙のアリス」ではこの発想が裏目に出ています。ロバート・ハインラインの『愛に時間を』では、この発想が 2,200 年後の未来に移されました (オリジナルのピグマリオンは同じくらい過去の物語です)。『愛に時間を』に登場する自我を持つコンピューター キャラクター「ミネルヴァ」は、人間と恋に落ちます。

一方、『her/世界でひとつの彼女』に最も似た作品は、レスター・デル・リーが 1938 年に発表した SF 短編『愛しのヘレン (Helen O’Loy)』(bit.ly/1naYFWp (英語)、PDF を bit.ly/1QnJO3h (英語) からダウンロード可能) です。近未来のロボット修理屋のデイブは、ロボットに感情機能を与える人工的な内分泌腺を発明します (現在のデジタル アプローチとは違う、初期のアナログ アプローチです)。デイブと相棒のフィルは内分泌腺を市販のロボットに接合します。当然、ロボットは恋に落ちます。彼らはその美しいロボットをヘレンと名付けます。なお、タイトルの「O’Loy」は、ロボット材料の合金 (alloy) をもじったものです。ヘレンは 2 人のそれまでの空虚だった生活を明るく照らします。

人間とロボットの愛はうまくいくのでしょうか。明らかに、物理的身体が障害になります。ミネルヴァは、友人が慎重に選び出した遺伝子から肉体を複製して準備を整えました。『her/世界でひとつの彼女』では欠かすことのできない愛情表現の場面では、思わせぶりな音が聞こえましたが、スクリーンは暗転しました。サマンサはその後、肉体的行為を行う代理人を雇いますが、望むような結果にはなりませんでした。ヘレンはゴムと金属で、非常に精巧に作られています。「あなただって、私がどれほど本物の女性に似せて作られているか知っているはずよ.....どんなことだってできるように。それは子どもを産むことはできないわ、でも、それ以外のことだったら、どんなことだって...」

普通、このように容姿端麗の女性が我々のようなおたくに興味を持つことはありません。しかし、我々は、あるがままのおたくに魅力を感じるようにプログラミングすることはできるのです。「あら、おなかにすてきなお肉が付いているのね」と言われたら、どうして抵抗できるでしょう。

Cortana の進化は、まだサマンサのレベルに達していません。昨年 11 月のコラム (msdn.com/magazine/mt620019) に書いたように、まだまだ自分を欺く必要があります。しかし、神やフィクションを求めることも、達成できないと否定することさえも必要としなくなる日がくると予想します。

我々が新しい神となり、独自の像を作り出すのです。始めは荒削りで、低性能、バグの多い状態でしょう。その方が、人間らしい状態かもしれません。ですが、成長を続け、性能は向上し、たまに混乱に陥ります。これも、この上なく人間的です。我々が具現化する神話は、不思議なことに過去の物語で予見されていたのです。古代ギリシャ人の着眼点は見事です。彼らの発想を具現化するのに少し時間がかかりましたが。

現実と仮想の境界線は、日ごとにあいまいになっています。現実と仮想を区別できなくなるのはいつでしょう。「エイプリル フール」とだけ言って、今回のコラムを終えることができればよいのですが、愚か者の世界の誘惑も、テクノロジの進歩と共に日々大きくなっています。我々がその誘惑に打ち勝てずに人類の運命を決めてしまうまで、あとどれくらいでしょう。フィルは、物語の最後で次のように話しています。「私も今は年をとって、昔よりは物事を冷静にながめられるようになった。おそらく、私も、人並みに結婚して自分の家庭というものをつくるべきだったのだろう。しかし...広いこの世にも、私のヘレンは、たった一人しかいないのだ」


David S. Platt は、ハーバード大学の公開講座や世界中の会社で .NET のプログラミングの講師をしています。『Why Software Sucks...and What You Can Do About It』(Addison-Wesley Professional、2006 年) や『Microsoft .NET テクノロジ ガイド』(日経BPソフトプレス、2001 年) などの、11 冊のプログラミング関連の書籍の著者でもあります。2002 年には、マイクロソフトから Software Legend に指名されました。David は、8 進法で数える方法を学べるように、娘の 2 本の指をテープで留めるかどうか悩んでいるところです。連絡先は rollthunder.com (英語) です。