ちょっとひと言

DEC よ、永遠に

David Platt

image: David Platt去る 2 月 6 日に Ken Olsen が亡くなり、業界紙は我先にと彼をほめ称えました。このとき、MSDN マガジン 3 月号のコラムの締め切りは既に過ぎていました。エイプリル フールは 1 年に 1 回しか訪れないため、4 月号の Simba のコラムははずせませんでした。

Olsen は、1952 年に、DEC (船の甲板と同じく「デック」と発音します) と称される Digital Equipment Corporation を設立しました。DEC は、マサチューセッツにあった紡績工場を改造して本社としたことで有名でしたが、ここは、古い工場から新しい産業を興した「マサチューセッツの奇跡」の象徴でした。私が初めてプログラミングを行って、スター トレックのテキスト ベースのシミュレーション ゲームで遊んだコンピューターは、大学生のころ出会った DEC PDP-10 でした (ソリティアのような画像はありませんでした)。

私が IT 業界で Windows の教育を始めた場所が DEC でした。私は Charles Petzold の『Programming Windows, Second Edition』(Microsoft Press、1990 年) を教科書にして、C 言語で 16 ビット SDK を教えました。DEC の生徒は、「near ポインターに far ポインター? メモリ セグメント? インスタンス サンク? 頭がおかしいんじゃないのか」と、この講義を嫌っていました。

The remains of what was once DEC headquarters.

かつての DEC 本社の跡地

DEC のミニコンピューター、PDP と VAX はものすごい人気を博しました。そして、DEC は IBM に次ぐ、世界で 2 番目に大きなコンピューター会社へと成長しました。絶頂期には、支社と空港の間を (当時の) ひどい交通渋滞を避けて従業員を往復させるヘリコプターを所有しているくらいでした。

しかし、滅びとは往々にして、自分自身の力だけで進んでいくサイクルから抜け出せなくなることから始まります。DEC は、パーソナル コンピューターの時代が到来することを予見できませんでした。世界はさらにたくさんの VAX を求めていると考えていた DEC は、パーソナル コンピューターをおもちゃと見なしていました。ところが、その後 Windows 3.1 がヒットし、パーソナル コンピューターがいくぶんか便利になってきて、だれも VAX を欲しがらなくなりました。交代劇は 1988 年に始まります。マイクロソフトが、DEC の VMS OS のチーフ アーキテクトである Dave Cutler を Windows NT カーネルの設計のために雇用したのです。私は DEC で、64 ビット RISC チップの "Alpha" の 1 つで実行される NT についての講義を行いましたが、これが成功につながることはありませんでした。DEC は規模を縮小し、ついには姿を消しました。残っていた部門も 1998 年に Compaq に売却されました。ただし、従業員の同窓会 (decconnection.org、英語) は残り、企業従業員の信用金庫が独立組織として存在しています (dcu.org、英語)。

最近、顧客のもとに向かう途中で、DEC がかつて存在した工場に立ち寄りました。その中の一部は、現在、貸し倉庫になっていました。George Carlin が言うところの「多くのものを外へ持ち出す間、ものを保存しておく場所」です。ほかには、幼稚園があり、そして非常に多くのコウモリがいました。

自らの状況を把握できていなかったことについて DEC や Olsen を非難するのは簡単ですが、そんな中でも、DEC からたくさんの企業が生まれました。DEC の退職者によって設立または構成され、当時成功していたミニコンピューターのメーカーの大半は、進化を遂げることも生き残ることもありませんでした。Data General、Wang Laboratories、Prime Computer、Apollo Computer、Computervision は、今やすべて姿を消しました。「諸行無常の響きあり」ですね。

George Will (私が影響を受けた人物のひとりで、知名度の低い新聞で重要性の低いコラムを書いています) が、エジプトなどで起こっている革命について「来年のアイオワ党員集会で勝利する共和党員を知っている米国人は、チュニジアの露天商人が焼身自殺を図ったのがきっかけで国に動乱が起きることを知らなかった人を糾弾できる。それ以外の米国人は全員、慎むことが適切だろう」と述べています。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、よく的を射ています。Will は、未来を予測することは困難であると述べているのです。

Ken Olsen と DEC、そしてその他多くの人々は、バッチ計算ジョブを実行するようオペレーターに頼んでも、気が向いたときにしか返事をしないようなガラスで囲まれたコンピューター ルームから、コンピューター端末を全員の机上に持ち出し、思うままに操れるようにする橋渡しをしました。この架け橋がなかったら、以前の場所から、今在る場所に進歩することはありませんでした。そして、自分はその橋を渡らず、向こう側に立って「みんな、いったいどこに行くんだい?」と言おうとも、彼が私たちの必要なときに橋を架けたという事実は変わりません。

DEC、そして Olsen が存在したからこそ、今の世界があります。私が亡くなったとき、そう言われるのは悪くありませんね。Ken Olsen と DEC をたたえましょう。

来月は、DEC と同じ道をマイクロソフトがたどらないようにするために必要なことを取り上げます。

David S. Platt は、ハーバード大学の公開講座や世界中の会社で .NET のプログラミングの講師をしています。『Why Software Sucks...and What You Can Do About It』(Addison-Wesley Professional、2006 年) や『Microsoft .NET テクノロジ ガイド』(日経BPソフトプレス、2001 年) などの、11 冊のプログラミング関連の書籍の著者でもあります。2002 年には、マイクロソフトから Software Legend に指名されました。David は、8 進法で数える方法を学べるように、娘の 2 本の指をテープで留めるかどうか悩んでいるところです。連絡先は rollthunder.com (英語) です。